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デング熱ワクチン研究者の背中を押したもの | 武田薬品

マニラの国立キリノ記念病院の小児病棟にて、デング熱流行により感染した子どもたち

デング熱ワクチン研究者の背中を押したもの

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November 9, 2023

本記事は、デング熱について特定の患者さんの体験談を紹介したものであり、典型的な患者さんの体験を紹介するものではありません。気になる症状や医学的な懸念がある場合、また、適切な診断と治療を受けるためには医療機関を受診してください。


静寂の中、ジョー・サンタンジェロはマサチューセッツ州ケンブリッジのオフィスにいました。彼は椅子に深く腰掛けながら、デング熱ワクチン開発チームを率いてきたこの20年間を振り返っていました。彼のライフワークが、デング熱に苦しむ人々の一助となれるかに、思いをめぐらせていたのです。

成果に対する想いについて、ジョーに尋ねると、少しの沈黙の後に目をそらし、あふれる涙をこらえながら震える声でこう答えました。

「限りなく誇りに思います」

勇気ある決断


ワクチンビジネスユニット(VBU)の化学、製造、品質管理担当バイスプレジデントであるジョーは、デング熱研究のキャリアを自ら選んだわけではなく、自然な成り行きでこの道に進んだと言います。ジョーは1990年代、英国拠点のワクチン開発バイオテクノロジー企業で働いていた時に、敗血症と髄膜炎のワクチンの製造拠点候補を探しにアジアに派遣されました。そこで、彼が目にした研究者たちの仕事に心を惹かれました。

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ジョー・サンタンジェロ:ワクチンビジネスユニット 化学、製造、品質管理担当バイスプレジデント

「その研究者たちは、自分たちに関係する疾患に注力していました」と、ジョーは振り返ります。「当時、たいていのワクチンは、西洋の国々によって先進国の疾患のために開発されていたのです」

この経験を機に、ジョーは2005年にシンガポールで、アジアにおける風土病への治療法を開発する企業を立ち上げました。4年後、その企業は米国のインビラージェン社と合併しました。

インビラージェン社は、米国疾病対策センターからデング熱ワクチン技術のライセンス供与を受けていた企業です。そして2013年に、タケダがインビラージェン社を買収しました。

「タケダは昔からワクチンを製造していますが、デング熱のプログラムは特異なものでした」と、ジョーは指摘します。「開発はまだ早期段階にあり、上市するまでには多大な時間とコストがかかることが予想されました。しかし、リーダーシップチームはこれを『なすべき事』として理解していました。非常に多くの国がデング熱に苦しめられていたのですから。そして、タケダのリーダーシップチームは、デング熱ワクチン開発に投資することを決めました。これは間違いなく勇気のある決断でした」と続けました。

これまでの疾患とはまったく違う


デレック・ウォレスは2009年、デング熱流行中のタイ北部の病院を訪れたことをきっかけに、デング熱に関心を寄せるようになりました。

デレックは医師として、多くの子どもを治療しましたが、「これまでの疾患とはまったく違うと感じた」と言います。

デング熱に苦しんでいる子どもが、1つのベッドに2人ずつ寝かされている光景を見て、ショックを受けました。ベッドの下にはマットレスが広げられ、そこで親たちが寝起きしながら子どもに付き添っていました。

デレック・ウォレス:グローバルデング熱プログラムヘッド

デレック・ウォレス:グローバルデング熱プログラムヘッド

「こうした経験を通じて、デング熱に関心を持つようになりました」と、デレックは振り返ります。

そして彼は、自らの関心にぴったりと合う企業を見つけたのです。

「タケダと私の価値観は、とても似ています。タケダとの縁を得たことで、個人としても、デング熱に取り組むチームの一員としても、世界中に人々の健康に何十年にわたり恩恵をもたらす可能性のある仕事に取り組めるようになりました」と、デレックは述べています。

デレックは2013年に、メディカルディレクターとして20人を超える研究者チームに加わり、2016年にはグローバルデング熱プログラムのヘッドに就任しました。デレックとジョーは、他のチームメンバーと密接に協力し、第3相臨床試験を進めていきました。

デング熱は非常に複雑な疾患で、感染を引き起こすウイルスまたは血清型が4種類もあるのだと、2人は説明します。「これは非常に大きな問題でした」と、デレックは述べています。

不屈の精神の大切さ


グローバルデング熱プログラムのヘッドとなったデレックに代わり、VBUのデング熱臨床リーダーでシニアメディカルディレクターのシバダス・ビスワルが、この試験をリードしました。

シバダス・ビスワル:ワクチンビジネスユニット デング熱臨床リーダー、シニアメディカルディレクター

シバダス・ビスワル:ワクチンビジネスユニット デング熱臨床リーダー、シニアメディカルディレクター

「私の父は医師でした。彼は、長期間にわたって有望な結果が得られる確証のないワクチン開発に対して、これほどの時間を与えてくれる企業があるなんて、まったく信じられないと言っていました」と述べています。「しかし、何世紀もこの業界にいるタケダは、不屈の精神を持つことの大切さを知っているのです」

この臨床試験は、被験者から研究者、そして参加施設の管理者まで、実に多くの人が関与していたため、複雑なものとなりました。

シバダス自身もデング熱と関わりがありました。シンガポールで臨床開発プログラムに取り組んでいた頃、デング熱が流行したのです。その経験も、シバダスがこのワクチン開発に取り組むきっかけになったと言います。

「自身がデング熱に感染した人も、知り合いが感染した人もいます。誰の身にも起こりうることだからこそ、この仕事は非常に重要なのです」

「大変な仕事ほど実りは大きいものです。これまで、私たちはどの段階においても患者さんを第一に考えてきました」とジョーも同意します。


Banner Image Credit: Jay Directo/AFP via Getty Images. 2010年9月11日、マニラの国立キリノ記念病院の小児病棟にて、デング熱流行により感染した子どもたち。

注記

本記事において、言及されたすべての研究が新しい医薬品につながるものではなく、言及されたタケダの医薬品がすべての国で発売されているものではありません。